しおや100キロウォーク
こんにちは、よーくです。
4月19~20日の週末、しおや100キロウォークを完歩してまいりました。
間が空いてしまいましたが、ようやく公開まで来ました。
実は帰宅後に体調を崩してしまいまして、まだ回復しきっていない状況です。4月に入ってから今年の花粉症第二弾が始まり、そこから疲労で風邪に移行したものと思っています…
伊豆大島編も執筆中ですが、書けるものについてはリアルタイム性も大事にしたいので、順番は適宜調整して書いていきます。楽しみにしてくれていた方がいらっしゃいましたらすみません。
塩谷町とウォーキング
まずは本ウォーキング大会について。
しおやは「栃木県塩谷郡塩谷町」を指します。
「塩谷町ってどこ?」
わかります。私もこのウォーキング大会で知るまでは塩谷町のことは知りませんでした。
広域地図で見るとこんな感じ。
近隣で有名な場所は、栃木県の県庁所在地宇都宮市、日光東照宮、鬼怒川温泉です。
もう少し北に行くと那須塩原もあります。

もう少し拡大してみるとこう。
ルートを青色で示していますが、鬼怒川温泉まですぐの場所だったんですね。

ちなみに塩谷町の範囲はこんな感じ。
塩谷町内に閉じたルートになっていますね。
そう、「しおや100kmチャレンジ」のルートは完全に塩谷町内を歩き倒す100kmウォーキングです。

なぜ塩谷町内をぐじゃぐじゃと歩き倒すルートになったのか。
以前の記事で私は「地元密着感」な雰囲気のある塩谷のウォーキングに惹かれる旨を書きましたが、おそらくこの雰囲気の理由もルート設定と同じところに原点があるのだろうと思っています。ただの「ノリのいい人たち」ではないわけですね。
私は幸運にもウォーキング中にベテランウォーカー様と偶然にもお話させていただきまして、これらの理由およびしおやウォークの成立ちを知ることができました。またその一端をコース内の各所で見ることもできました。
どれだけの人がこの背景をご存じなのかは知りません。リピーターが多そうなので、ひょっとしたらほとんどの方は既にご存じなのかもしれませんね。
それでも私は何とも言えぬ気持ちになり記事を書いています。
詳しい経緯など調べたところであまり出てこないので、あくまで一個人の調査レポートくらいにとらえていただけると幸いです。また有識者の方に置かれましては補足訂正などいただけましたら大変助かります。
塩谷町という町
塩谷町の中心部はJR上野東京ラインの矢板駅が最寄りになります。
当日は事前予約者のみですが、矢板駅からのシャトルバスが出ています。

塩谷町役場前にシャトルバスで参りました。
このウォーキング大会の主催団体は「しおや湧水の里ウォーク実行委員会」様です。
至る所にこの「湧水」というキーワードがあります。

降りたって1分ですが、この町が水と緑豊かな町であることが伝わってきます。

一方でウォーキング中に写真は撮っていませんが、コース内各地では以下のような「処分場 反対」といった看板を至る所で見ることができます。もうちょっと明確に書いた看板もありましたが、具体的な場所まで思い出すことができず…
塩谷町は放射性物質の指定廃棄物の処分場候補地でした。
ここでいう放射性物質とは、東日本大震災に端を発する東京電力福島第一原子力発電所の事故で大気中に放出された放射性物質によって二次的に汚染された物質です。門外漢の一参加者に過ぎないので、多くを語るつもりはありません。興味がある方は調べてみてください。
環境省HP
https://shiteihaiki.env.go.jp/radiological_contaminated_waste/designated_waste
当然塩谷町は反対の流れとなりました。
この塩谷町を盛り上げるための取組として産声を上げたようです。それがお隣群馬県の「ぐんま100キロウォーク」といった大会の影響を受けるなどの紆余曲折を経て100キロウォークに、さらには回数を重ねて今回で10回めとなったとのことでした。
-塩谷町を盛り上げて、塩谷町の良さも伝える。-
塩谷町内に閉じたウォーキングであること。
たくさんのエイドやボランティア・町民の皆さんに歓迎される活気のあるウォーキング大会であること。
準備(装備編)
今回から新しく導入した装備は以下。
・ワークマンのロングボクサーパンツ
・マムートのリュック(Lithium 20)
・ワークマンのスポーツレギンス
ワークマンのロングボクサーパンツはよかったです。
生地が薄くさらさらとした伸縮性のある素材。吸湿性あり履き心地もノンストレス。もとは股ズレを減らしたくて導入を決めました。私の一番の悩みであるお尻同士のズレは今回も発生してしまいましたが、それ以外は無事でした。
悪かった点は特にないので、もう一枚くらい買おうと思います。
Lithium20も悪くなかったです。
とにかく軽いです。そのわりに小さなポケットなどがあり収納スペースが豊富。長時間背負うリュックサックには十分なアドバンテージと考えます。
一方で残念な点も見えました。軽さに振ったせいか、素材やファスナーがチープです。特にフロントのポケットはスムーズに閉まらない場面も。
のんびりとしたハイキングには問題ないですが、タフな環境でもバシバシ使える相棒になるかどうかは様子見です。
スポーツレギンスはロングボクサーパンツがよすぎたので終盤からのお試しに留まりました。これといって感想はなく、様子見です。
今回変更した装備
・水筒:エイド間が短く大きいボトルが不要なため、保温性のある小さい水筒とソフトフラスクのペアに変更した。想像以上にエイドが多く、ソフトフラスク一本でよかったかも。
・ウインドシェル:終日好天が見込まれて携帯が不要と判断したため、現地で荷物から外した。
・トレッキングポール:今回は使用不可。
準備(移動編)
4月19日(土)の朝8:30頃には前述、JR上野東京ラインの矢板駅に到着する必要がありました。
新幹線を使って始発移動すれば間に合う距離ですが、バタバタしたくなかったので前日となる4月18日(金)、仕事終わりに新幹線を使って宇都宮への前日入りを目論みました。

しかし不幸なことに東北新幹線90分という大幅遅れのせいで睡眠時間が確保できず。
余裕があれば餃子食べたいなあなんて考えていたのが嘘のようです。ここ最近東北新幹線は事象が立て続けに発生しているようで、「なにやってんだJR東日本」と文句も垂れながら就寝しました。
さあウォーキング当日です。

眠気も残る中ではありますが、当日はすばらしいお天気に恵まれました。
当日はすばらしいお天気に恵まれました。
シャトルバスで現地に着いたところ、既にたくさんの人が準備を終えているようでした。
我々も手続きを終えて準備を済ませます。


好きなものを好きと言うこと
当日私はJリーグのサッカーチーム、湘南ベルマーレの30周年記念ユニフォームを着用して参加していました。青色の襟に黄色と緑のチェック模様というド派手なユニフォームです。
そうです。贔屓のチームです。
が、この場では特定のチームについて語るつもりはないので、事実だけ述べてサラリと流しましょう。
なぜこの服装だったのか?過去参加したウォーキングでも、他クラブのサポーターさんが着用されているのを度々拝見していたためです。実際にお話も交わして、Jリーグサポーターとしてこういうアピールも楽しそうだなと思った次第です。
そして今回もこうしたアピールがすてきな出会いを引き寄せてくれました。

「ベルマーレだよね?声かけずにはいられなかったよ~」
他のJリーグクラブを贔屓にする同志の方からお声をかけていただきました。
この方とはその後ウォーキング中でもお会いする度に会話が弾みまして、今回の楽しい思い出の一部を担っていただきました。
歩くスタイル、歩く動機は人それぞれでいいのです。
歩くこと自体が大好きで、イベントの区別なく普段ごとのように黙々と歩くのも大いによいでしょう。
好きなコンテンツのグッズを身に着けたり、なんならコスプレして自分らしさを表現するのもよいでしょう。(最低限のルールやドレスコードは守りましょうね)
少し塩谷町から話は逸れます。
私の「100km級ウォーキング」との出会いも元々は自分の「好き」を追及した結果でした。
「からかい上手の高木さん」という小豆島を舞台にした作品
原作漫画は既に終了していますが、三度アニメ化され、映画化および実写化までされた名作です。島出身の作者様が描く背景描写を中心に、作中あちらこちらで島の各所がリアルに登場します。アニメや映画においても島の雰囲気を一切損なわぬ丁寧な作りとなっています。

聖地巡りを通して作品の感動を深めたい自分
島に点在する聖地を巡るところから始まり、島の雰囲気や各イベントに惹かれて何度も足を運ぶようになり、自分の足や地元交通機関を使って歩くようになります。

年々開催されてきた歴史ある小豆島一周ウルトラウォーキング(100km)
「この島をもっと歩きたい」という思いからの出会いでした。
沢山歩いた小豆島旅行からの帰路、調べていると島を一周できる100kmなんてとんでもない距離のウォーキングイベントがあるらしい。
おもしろそうだ。
好きな島を思い切り歩くことができる。

これが自分にとって当たり前で忘れがちな原点です。
幸いにして歩く旅への抵抗はないですが、おそらく私はとにかく歩きまくるという類の人でもないのでしょう。
この「好き」や「楽しい」という気持ちをコンパスに、これからも歩いていきます。

中山の千枚田からの一枚。
映画で登場した感動の舞台です。作品補正は否定しませんが、私の大好きな一枚です。
次回の富士山ウォーキングはどのユニフォームを着ていこうかな。
同志がいたら話しかけてみよう。
スタート~第4エイド(24.2km)
今回のしおや100ウォークの大前提として、これまでのウォーキングは一人で歩いてきた私ですが、今回私は同行者(彼女)と一緒に歩きました。
実は私の彼女は十年以上前になりますが、一度独力で100kmを完歩した実績があります。
普段は「もう二度とやらない」と言っていますが、今回は魅力的なエイド食ほか諸所の理由で一緒に歩いてくれることになりました。
「せっかく一緒に出るのだから二人で完歩する」が今回の私の一番の目標です。

全体を通して序盤に獲得標高が集中しています。
準備を済ませた我々は「開会式始まりまーす」の運営さんの声でグラウンドへ集まります。
開会式をそっちのけで(笑)、記念写真や後方でのお喋りに夢中になっていたらいつのまにかスタートしていました。周囲の方も同じだったようで、苦笑いしながらぱらぱらとスタートゲートをくぐりに行きます。ゲートをくぐった後は地元と思われる方々の演奏に送り出されるようにコースへと出ていきます。
スタートして約百mは全然前に進まない状態。
5~600人が一斉スタートして歩道をぞろぞろと歩くため、前が詰まって仕方ありません。
その後もしばらくは人が多すぎて思うように歩けない状態が続きました。
人によってはストレスだったでしょう。後々もいろいろとお話ししましたが、これは皆さん口をそろえて改善点に挙げていました。
我々がペースをつかめたのは結局3~4kmくらいいって、本格的な山道に入ったあたりからでしょうか。そこからは登りも苦にせず10分半程度で刻みました。しかし今回のしおやウォーキングで苦しんだ点のひとつがエイド間の距離、ペースができてきたと思ったらエイドに着くのです。後述しますが私にとっては短すぎました。
東古屋湖周辺を歩きます。このあたりはとてもきれいです。

タイミングを逃さぬようカメラを構えながら歩いているうちに第1エイドに到着しました。

さらにこのしおやウォーキングというのはエイド完食のスタンプラリーもあるようです。
初参加のエンジョイ勢としては完食、全部まわってやる気概でした。
終わった今だから言いますが、このスタンプラリーが良くも悪くもなかなか問題児でした。
最初からスタンプラリーに拘りがなければ、割り切ってトータルで最適化できたことでしょう。しかし刻み始めてしまったが最後、しっかりとエイドをまわることになります。

お饅頭は歩きながらでも食べやすいのでよいですね。
湖沿いのキャンプ場付近、美しい景観を眺めたり写真に収めながら進んでいきます。
特にキャンプ場付近は立ち止まって眺めたくなる美しさです。

開けた地域を抜けて山間を進んでいきます…が、ペースは上がりません。
原因はいくつかあります。
①エイド間が短く人も多いためペースが作りにくい。
②エイド食スタンプラリー中心にエンジョイしながらの確実な完歩に徹した。
③暑さとの闘いが見込まれたので、前半は無理しないことを意識した。
④花粉症が酷くて鼻と喉が荒れる。咳が出る。
①について人の多さは仕方ないでしょう。ボリューム層で歩いていたのだから。
また普段は一区間10km以上という距離に慣れていますが、今回の前半はエイド間が4~5kmです。
荷物を下ろしてスタンプラリーやエイドを楽しんで、気持ちを切り替えてリスタートという頻繁な切り替えが精神的に疲れました。なので第2エイド終わってまだ10km…?!(普段なら40kmくらいいってるのに…)みたいな現象が起きるわけです。これはやってみないとわからないことでした。
②について、自分の計画性のなさが招いたことですが、このしおや100kmウォーク、私にとって最も大変だったのはウォーキング自体ではなく、エイド食と胃腸の闘いでした。
私にとってウルトラウォーキングはタイムの追求ではありません。
自分なりの「楽しさ」を極める場です。
これは昨年17時間そこらでゴールした2度目の小豆島ウルトラウォーキングで認識しました。初参加時は18時間半くらい。二度目ということで、過去の自分や他参加者に追われるような気持ちで歩き続けてしまい、なかなか楽しむことができませんでした。
このしおや100キロウォークの良さのひとつは豊富なエイド食です。
この「楽しさ」を極めるのであれば、次回も間違いなく参加することになるでしょう(笑)
③は割愛するとして、
④について、花粉症は例年行事です。
昨年はくしゃみのしすぎでヘルニアにもなった重度花粉症です。
自分は花粉症だという自覚を強くもち、自分なりの軽減術を模索する以外にありません。


素敵な林道と透き通った水面、塩谷町の美しい自然に気を取られているうちに第2エイドです。
第2エイドで提供されたのは、鬼嫁から揚げと山菜(ゼンマイ?)の漬物。
特に漬物は塩分がいいですね。ちょうどいい野菜の水分も。
次回はタッパーに入れて持っていこうかな。
さすが、古来より日本に伝わるパワーフードです。


第2エイドを出ると、山中のメガソーラー地帯を西へ突っ切ります。
周囲に遮るものもなく、蓄電池の熱と日射に加えた登り坂で体温が上がります。
全体を通してこのあたりが一番暑かったですね。


炎天下の歩き方はコツってありますよね?
私は幼い頃からすぐに頭痛がするような熱中症体質なので、いろいろ試行錯誤してきました。
結局はこまめな対策に尽きるのですが、パワーセーブしながら抜けていくと第3エイドです。
桜の木の下でお母さん達が労いつつ歓迎してくれます。

第3エイドは「たておか商店のバナナ、バヤリース」
さっきまで冷えていたであろう冷たさの名残が残るバナナ、見るからにエネルギーがみなぎりそうな肉厚でパンと張っています。
またバヤリースによって花粉でごちゃごちゃしていた喉が非常にすっきりしました。
私は世界で一番おいしくバヤリースを飲んだ人間かもしれません。


第3エイドで回復した我々は何もないただのあぜ道を南進します。
「何もない」は私にとって誉め言葉ですからね。無駄なものがありません。

行けども行けども長閑な田園風景。
無心で歩くには最高ですね。
舗装も不十分なあぜ道をしばらく西進すると日光市との境目です。
塩谷町の西端で折り返して大きい道(県道77号)に出ると温泉もありました。
鬼怒川沿いに歩きますが、温泉郷が近いことを感じます。
ほどなくして第4エイドへ到着します。なんと第4エイドは個人宅とのこと。
さきほどのバナナもよかったですが、今回のエイド食ナンバーワンはこの豚汁でしょう。
程よい固さまで煮込まれた大きめの根菜ゴロゴロの味噌スープです。
塩分補給のために梅干しまで入れていただきました。
「ありがとう、めっちゃ美味しかったでーす!」
塩谷マダムに「来年も来てね♡」と言われたので、来ないという選択肢はありません。
愛情をたっぷり補給してウォーキングに戻ります。


第4エイド~第8エイド(47.5km)

第4エイドを出ると西塩谷のあぜ道をひたすら東に進みます。
「次のエイドは?」
「4km後だよ」
(ヒエ~ッ)
これがしおや100キロウォークです。
その後は彼女の足に若干異変の兆候がみられたため、ペースは少し落として11分30秒程度に落ち着けました。とはいえあっという間に次のエイドに到着です。
第5エイドは「道の駅 湧水の郷 しおや」です。

道の駅の西側の広場に面した場所にエイドが設立されていました。
第5エイドでいただいたものは和氣ファームの揚げもち、いちご、コーラです。
「ありがとうございまーす!(ここにきてすごいもの来たな~)」と内心苦笑するわたし。

「イチゴは一人一個ね~」
(あれ、いちご食べ放題って聞いてたんだけど…)
どうやらもう少し早く来れば食べ放題だったようです。我々の少し後に来た人たちには残ってすらいませんでした。
あぁ、諸行無常…

(食べ放題したかったなあ…)
今年は全体的にエイド食の量が少なかったという情報もありますが、宿題が残りました。
なんとなく消化不良の気持ちをコーラで穴埋めします。
今考えるとこういう衝動的な行為の積み重ねがいけないのです。
第5エイドを抜けた我々、この区間の前半は傾きつつあるお日様に照らされる広大な田園地帯です。

そして後半は鬼怒川沿いへ舞台を移します。
山が近く日影が増え、視界に清流が入ってくるようになり涼やかさを感じ、思わず帽子をとりたくなります。

しばらくすると左手に十メートル以上はある威圧感のある大きな岩が見えます。大きなカメラを構える方もおり、観光地になっているのでしょうか。どうやら佐貫石仏というそうです。
古来日本神道では山や岩の自然物そのものを神様の依り代(ご神体)として崇め奉る自然崇拝の考え方があります。奈良県の大神(おおみわ)神社が例でしょうか。当時はその類かと思い簡易に撮影するに留めました。
しかし冷静に考えると佐貫「石仏」です。
仏教の影響を受けた石仏信仰です。
検索してみるとどうもこの岩山に仏様の座像が彫られているようなのです。
目を凝らして写真を見てみると、仏様が浮かんでくるようなこないような…
歴史的に水害の多い関東の一級河川である鬼怒川、この鬼怒川に面して露出するように彫られている仏様です。
流石に風化が激しいですが、ひっかき傷というか、なにかしらの彫刻があることは見て取れます。
治水のためか、昔から人々の信仰を集めていたのでしょう。

鬼怒川沿いに別れを告げ、佐貫の町中へ入っていきます。ほどなくして第6エイドに到着しました。

第6エイドは「富次郎のたい焼き」です。

もはやウォーキングしているのか、食べ歩きなのかわからなくなってきます。
手が汚れずゴミも持ち歩きやすい部類なので、エイド食だとうれしいですね。
(というかそこまておなか減ってないので歩きながら食べることに)
後で聞いたのですが、このたい焼き去年はミニサイズだったようです。
今年は狂暴にも数倍のフルサイズたいやきに進化していたようです(ほめことば)。
日が本格的に傾き影も伸びてきます。
なんとなく峠っぽい道、ただひたすらにあぜ道を進んでいきます。

日を浴び続けた身体には若干のだるさを感じます。
しかしまだまだ元気です。
あぜ道や民家には色彩豊かな花々が印象的です。


お天道様の名残で若干の明るさが残る頃にようやく第7エイドへ。第7エイド前でも誘導のスタッフさんが丁寧に労ってくれます。
第7エイドではさいかちのおにぎり(弁当)をいただきました。ここでナイトウォークの準備としてライトを点灯します。ついでに荷物を軽くしたく、受付時にもらった配布のお菓子も食べることにしました。

おにぎり弁当を食べた直後にも関わらず、荷物を減らしたくて配布されたお菓子をぼりぼり食べながら歩き始めます。
エイドを出てすぐの信号待ちでお菓子を食べる私を見たお姉様が一言。
「ひえ~っ、そんな食べて大丈夫?」
ベテランウォーカーさんとの出会いでした。
お話を聞けば聞くほど私がひよっこにしか思えない大ベテランさんです。その後の一区間はいろいろとお話を伺いながら一緒に歩くことになります。
またお会いする度に同行者を励ましていただき、とても力になっていました。貫禄もそうですが、やはり女性同士の安心感もあるのでしょう。
しおやウォークの歴史をご教示いただいたのもこのお方でした。この出会いを抜きにして我々二人での完歩があったかどうかというレベルで大きな出会いになりました。今までも知らずにお会いしているでしょうし、これからもお会いする気がします。
本当に良縁でした。
夏のしおやと箱根、中山道をお勧めされたので、エントリー検討しよう。
いかん、沼に引きずり込まれている…!?
そんな話をしている間に第8エイドに到着です。
うどんなら多少腹いっぱいでも入るだろうと高をくくっていた私でした。
このあたりで周囲の人は食べられないようでしたが、自分はやはり、つるっと。
同行者の分も含めて、ぺろりです。


後でも触れますが、長く運動を続けると胃腸の動きに影響が出てきます。出方は人それぞれだと思いますが、私の場合は満腹や空腹の感覚がマヒしてきます。お腹に物が入っているはずなのに、猛烈な空腹感に襲われます。
この自分の身体を知るのも今後に向けたいい勉強になりました。
第8エイド~第11エイド(69.1km)

うどんを食べ終えてすっかり暗くなった荒川沿いのあぜ道を歩きます。
川沿いは虫が多いですね。
ヘッドライトに虫が集まってきて顔に当たります。
途中で通るロペ倶楽部の看板、昔同僚と来たことがあるのを思い出しました。私はゴルフも嗜みます。
そして一時は持ち直した彼女の足がまた痛みだしました。
ラップは12分程度とさらに落とします。
暗さも手伝うのか、このくらいになってくると不思議なもので、参加者同士の追い越しは少なく、淡々とお互いの距離をキープしながら歩いているように見えます。
あぜ道に沿って等間隔でゆらめく光。
遠くまで続いています。
なんだか幻想的にも不気味にも映りました。
参加証でコーヒー券をもらっていたセブンイレブン塩谷大宮店へ到着です。
コーヒーでカフェインを摂取しながら彼女の足のマッサージを繰り返します。
ここでまだ50kmちょっと。正直完歩は厳しいかもしれないとも思いました。
ただ少しでも長く一緒に歩けるように。
最善を尽くします。

彼女はどうやらコーヒーを飲んですっきりしたようです。
そのあとの第9エイドまではあっという間の距離でした。

第9エイドのまんじゅうの写真は以前挙げたので割愛。
私は汗冷え対策にインナーを着替えます。
第9エイドを出ると暗さは一層深まります。
信楽寺の池からはカエルの大合唱です。山に反響して周囲に響き渡ります。

その後国道461号線まで北上してセブンイレブン塩谷田所店で再度コーヒーブレイク。
二度目のアイスコーヒーも美味しいですが、流石に身体が冷えますね。
国道461号に出た後は東向き、矢板市方面に歩を進めます。
しかし梍橋(さいかちばし)交差点で折り返し、ここでも塩谷からは出ないように、器用に北上していきます。
交差点を曲がったところで私設エイドがありました。


第10エイドのヤイタ工業さんに向かって丘を上り下りしていきます。
ここが大変という噂を聞いていましたが、個人的には期待外れなくらいなんでもない道でした。
しかし道中は足が止まって辛そうにしている方を何人も見ました。
スタートから62kmくらいです。オーバーペースや汗冷えで身体が動かないのでしょうか。
しばらくいくと、暗闇の中に煌々と光るエイドの明かりが見えました。
第10エイドに到着です。

とってもキュートな焼き菓子をいただきました。
LaFamigliaさんの焼き菓子とホットコーヒーに加えて、実は持参していたパンケーキ×2も食べます(食べ過ぎ)。

第10エイドを出た我々は荒川にぶつかる熊ノ木橋手前で左折、町内中心部へ向かいます。
あまりルートは把握していませんでしたが、左折してすぐに日中通った道であることを認識できました。

無事に玉生小学校に入っていきます。
第11エイドだけではなく70kmコースのゴール地点でもあるため、エイドは終日開設されています。
夜間通して行われるフェスティバルのような活気がみなぎっていました。

第11エイドは芋煮汁、フランクフルト、焼きそばなど多様に提供されており、地元小学校の夏祭りを彷彿とさせられる光景です。
我々は70kmで終わりを迎える人を傍目に腰を下ろして休みます。
このような一旦スタート地点兼ゴール地点に戻ってくるようなコースは初体験。覚悟はしていましたが、終わらせたくなる魔力は凄いですね。
これで横にでもなろうものなら続行することは困難でしょう…
しかしまず彼女の体調に異変が現れます。
吐き気が酷くトイレでもどしてきたようでした。顔が真っ白です。
低体温が怖いのですぐに着替えて火に当たるように伝えました。
下半身の強さは信用していますが、普段からここまで長時間の運動には慣れておらず、ブルドーザーとも呼ばれる胃袋をもつ私とほぼ同じペースで食べているのです。声にも力がなく、正直なところ残り30kmのナイトウォークに連れていくのもためらわれました。
待つ間に私は自身の荷物の整理や着替えを行います。
小学校に戻ってきてから強い冷え込みを感じていたので、とにかく身体を冷やさないことを意識します。自分の準備が終わるとスタンプラリーシートを押し、フランクフルトと芋煮を食べます。

このあと2人で続行するか、70kmで切り上げることを彼女に促そうか、迷いながら芋煮汁を食べていたところで、若干の吐き気が私にも襲い掛かります…明らかに食べすぎです。
幸いにも次の12エイドの関門は5時と時間が空いています。反対を押し切り胃腸を休めるために二人で30分ほど仮眠をとることを決心しました。
第11エイド~ゴール(100km)
体育館で横になります。
幸い私の吐き気はそこまででもなかったのですが、このまま終わらせてしまいたい衝動に駆られつつ、リスタートする刻限と彼女の顔色を見比べていました。
起き上がったのは2時を過ぎていました。
彼女の顔色は大きく変わりませんでしたが、声には少し生気が戻ってきたようで、再出発を決意します。
行けるところまで行こう。
身体が固まったのでしっかりと寒さ対策をし、重い腰を引きずってエイド(小学校)を後にしました。

次の第12エイドの関門まで約10.6km、残り時間は2時間40分くらいです。
この第11エイドに飛び込んでから1時間近くを休憩に費やしました。
そしてこの後おそらく寝過ごしたのでしょうか、後ろからすごい勢いで歩いてきた男性一人に抜かれたのみなので、この時点では最後尾から2番目のリスタートだと思います。

このくらいの暗さと最後尾になると周囲に人がいないため、ルートを自分で確認しないといけません。
彼女は相変わらず吐き気に襲われ、また眠気も限界のようです。
ふらふらとした足取りをフォローしつつ二人で前へ進み続けます。
国道461号を西進しますが、左手には第12エイドを終えて第13エイドに折り返してくる先行参加者たちの明かりが連なっています。それを無心で眺めつつ、極端にペースを落とさぬことを意識していました。
道中には休憩しているのか、うずくまってしまっている方もいらっしゃいました。
一声かけますが顔が上がり返事が返ってきたので大丈夫でしょう。
ファミリーマート塩谷中央店でトイレを借りまして、彼女はすっきりした顔で戻ってきました。
ほどなくして私設エイドに差し掛かります。
チョコレートとキャンディをいただきました。
こんな暗く寒い深夜にお母様お一人。
「チョコレートがほとんどなくなっちゃった。ごめんなさいね。」と笑われていましたが、この時間の応援と笑顔にはなによりのパワーがあります。

私設エイドのほっこりした気持ちで歩いていると前方から他参加者が戻ってきます。
少し話したところ、ロストしているかもしれないとのこと。
どうやらこの施設エイドの角が右折のルートだったようです。
一緒に地図を見ながら私設エイド付近まで戻ると、道路反対側に見過ごしていた看板が。
どうやら本当にロストしていたようです。
正直少しわかりにくい看板だったのですが、残り時間的にもここで気づかなければ関門に間に合わなかった可能性があるため、当該参加者様には失礼ながら天啓でした。
その後ルート復帰して暗さが増す山の方へ歩いていきます。
次のロストは致命傷だと思い、地図を見る手にも力が入ります。
私設エイドでもらったチョコレートを食べたのですが、やはり若干の吐き気がするのでした。
道の駅が近づいてきたころには空に白み始め、明るさが戻る気配がありました。
12エイドの道の駅到着は関門約20分前。なんとか間に合わせることができました。

第12エイドではスープ餃子をいただきました。
正直吐き気があったので、あまり食べるつもりはなかったのですが、水餃子なら何とかと思って食べました。期待通りつるりとした舌ざわりで非常に食べやすいですね。皮がもちもちとしているので、食べ応えもあります。

一方彼女は着くや否や机に突っ伏して寝てしまいます。
固形物は食べられそうにありません。
まだ残り20kmあるので何も食べないのは不安ですが、とにかく体力回復が優先でしょう。
お手洗いで着替えて帰ってくると道の駅(エイド)から追い出されていたようです。
時刻は既に5時を回っています。関門時刻でもあり、エイドの開設時間の刻限でもありました。
もちろん間に合ってはいますが、関門という言葉を再認識します。
荷物を整えて再出発します。
この時点では文字通りの最後尾からのスタートです。
はっきりと明るくなり終わりが近づいているのを実感します。

残り約20kmを5時間弱なので時速4km以上のペースで進めばよいのです。
ラップに直すと1km15分を切る程度。こう書くと全然余裕そうに見えるでしょう。
しかもここからは残り2つのエイドの関門自体もさほど問題ではありません。
しかし最後尾の焦りもあり、体調が体調だけにギリギリのペースで責めるのはリスクがあると考えていました。幸い足はまだ余裕があったので、マージンも見込んで12分を切るかどうかくらいのペースで歩くことを意識しました。
国道461号の船生南の交差点を右折すると、まずは第6エイドのあった佐貫方面まで下る縦走です。
町内をぐるぐる回っているので、ルートを完全に理解した今は不思議な感じがします。
一つおもしろかったのが、「最後尾」という事実がウォーカー達を焦らせていくことです。
我々は本来最後尾にいるようなペースで歩いてはいませんので、すぐに最後尾が入れ替わります。その後も最後尾に巻き込まれた方は必然的にペースも上がってしまうようです。
今だからこそですが、もう少し肩の力を抜いて確実なペースで刻み続けた方が楽だったかもしれませんね。

どれだけ地図とにらめっこしたかわかりませんが、小学校を出てからのラスト30kmのルートは実にいやらしいコースです。まっすぐ行けばすぐのところを南北にふって距離を稼がせてきます。
脚へのダメージもしっかり蓄積してきたところで88.9km地点、13エイドに到着です。
私はここで吐き気がピークになったので座って目を閉じます。
エイドの写真もここだけなく、撮る余裕がなかったのでしょう。
その場では遠慮したのですが、結局肉まんをいただきました。流石に終わってから食べましたが、中華料理屋さんらしいジューシーな肉まんでした。エイドスタンプラリーを謳うならリアルタイムで食べたかったです…
その後タイムに少し余裕がでてきたので胃腸へのダメージも考慮して、序盤は13~14分/kmとかなり怪しいペースで入り、徐々にペースを12分程度に戻していきます。
その後は塩谷町南方の最終エイドへ向かって、畑の中をひたすら南下します。
こちらも第6~9エイドで歩いた区間が近く、感慨深いです。
彼女は足腰ともに痛みがあるようで、いよいよ余裕がなくなっていますが、決して歩行姿勢は崩れません。ガッツがあります。


最後の第14エイドに到着です。
もともとここでは甘酒と温かい飲み物がふるまわれるとのことでしたが、最後の集団なので何も残っていませんでした。とりあえず白湯を一口だけ。
彼女は玄関前で座り込み、持参していたケーキを頬張りながら涙を流していました。
いきなり食べ始めて心配になり言葉をかけますが、リアクションが薄く「疲労困憊」が伝わってきます。
ここまで来れたんだから大丈夫。
何としてでも連れて行きます。
最後尾が到着したことを確認すると、エイドスタッフさんが早々に片付けを始められます。
12エイド辺りからはそんな感じで最後尾を意識して作業されるようになります。
まだ開設時間終わってないんですけどね。気持ちが焦らされます。
まあ残り5km程度なので、休むより歩いたほうがベターですが。

また少し前に到着されてのんびりされていた他参加者の皆さん、最後尾が到着した報を受けてそそくさとエイドを後にしていきます。やはり「最後尾」という言葉はプレッシャーがあるようです。
(最後尾グループがんばったな~)
内心そんなことを思っていました。
ここまで来たら後は歩くだけなので、かなり具体的なタイムの計算が立ちます。
とはいえギリギリを攻める意味もないので、12分15秒~30秒程度で刻むことにしました。9:45頃着予定。

見逃したものもたくさんありますが、スタートから1kmごとに立ってました。感謝。
他の皆さんの歩行姿勢から身体にガタがきているのが見てとれました。
それでも力を振り絞って歩いています。
声をかけ、励ましあいながら進んでいきます。
私自身はといえば、足裏に多少の痛みはあるもまったく問題のない状態でした。
アドレナリンなのか、ペース管理の賜物か。
この距離に対しての慣れというものは絶対にあるでしょう。
ここまで歩いて思ったこととして、我々は基本的なペースは速いのに対して、スイッチオフの時間も長いため平均にならすと大したことがないということです。序盤にペースを作るのが難しかったという話をしたとおりですが、なにより行き当たりばったりと言いますか、「淡々」という言葉とは程通いウォーキングをしているなというのが反省です。


いよいよ小学校が近づいてきました。
99.9kmの看板を見ながら二人で校庭に入っていきます。
左右から拍手で迎えられての実質ウイニングランです。
「よかった、まにあったね!」
終盤、コース途中で間に合うか心配してくださったスタッフさんとも笑顔で言葉を交わします。
ゴールは計算より少し早めの9:42分。無事に二人並んでゴールしました。
本当によく頑張ったね。
一緒に歩いてくれてありがとう。
ゴール後
ゴール後の手続きを済ませ、賞状などいただいて記念写真も済ませます。


ほっとしたらお腹が減ってきました。
小学校のエイドで余った焼きそばを配っていたのを見つけた私は欲張りにも2パックをいただきました。
6時半頃から矢板駅方面のシャトルバスが動いています。もしくは自家用車で帰った方もいるでしょう。
8時間ほど前に見た時からは随分と荷物や人の減った体育館で荷物を下ろし座ります。
座るや否や私は焼きそばを食べ始めます(笑)
2パックを立て続けに、あっという間に食べ終わります。
目標を達成して肩の荷が下りたのもあるでしょう。

その後疲れた身体を引きずりながら片付けと着替えを済ませます。
彼女は一足先に着替えを終えて、泥のように眠っていました。
時刻は10時半、次のシャトルバスが11時半なので私もひと眠りするとしましょう。
シャトルバス~電車の移動中はウォーキング中もお世話になったベテランウォーカーさんとご一緒しました。
電車の中は暖房の暖かさと疲れと揺れでもれなく全員船をこいでいました。

宇都宮で皆さんと別れた後は宇都宮土産を買ったりしながら新幹線へ乗り込みます。
私はビール、餃子弁当、レモン牛乳をチョイス。
ウォーキング中気持ち悪くなっていた人と同一人物とは思えません。
焼きそば×2はどこへいったのでしょう。

総観
長くなりましたが、ここまで読んでくださりありがとうございました。
最後に塩谷ウォーク全体のまとめです。
個人的なトピックからウォーキング全体のことまでざっくばらんに。
・充実したエイドの割には関門タイム設定がシビアで、全部食べてゆっくり歩くのはなかなか大変。
エイドをエンジョイするなら、関門タイムアウトを覚悟でいけるところまで歩くくらいのスタンスがいいと思われる。
・普段自分が出るウォーキング大会とは勝手が違っていた。
エイドの多さとエイド間の距離の短さ、人の多さに惑わされて精神的に疲労した。
マラソンでもおそらく同じで、規模と盛り上がりの大きいものになればなるほどこうなるのでしょう。
・獲得標高はそこまででもない。なくもないが、斜度が大したことないため比較的優しい。コースの厳しさという面では個人的には物足りなかった。
・何も考えず飲食を続けながら歩くといずれダメージが返ってくる。
参加手続きの配布物にペットボトルの水もあるため、飲食物は何も持っていかなくていい。
ただし夏場は水分と熱中症対策が追加で必要。
・参加者が多く、周囲に人がいる状況も多い。
コース案内やキロ表示の看板も多いため基本的には何も見ずとも歩ける。ただし曲がり角も多いため、深夜で油断するとロストもあり得る。
・次回以降試したいフード:漬物と果物(夏場は難しいかも)
・運動の累積時間なのか、時間帯によるのかが不明だが、不自然にお腹が減っているような誤認識をしてしまうことがわかった。福井でも80kmあたりであった。自認と対策を模索していく。
・ウォーキングに波を作らない。淡々と歩きたい。
・良縁に恵まれ、個性的な他参加者と巡り合うことができた。感謝。
また初のグループ出場となり、(当たり前だが)一人で見る景色と二人で見る景色は違う。
・足のダメージはそこまででもない。やはり100キロという距離も慣れ。
個人的には股ズレ(尻ずれ)が相変わらずつらい。これさえなくなれば、まだまだ歩ける距離は伸びる。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
よーく
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