私の「旅」の哲学

旅行記

不便を楽しむということ

皆さんは「旅行」というと何を想像されますか?
飛行機を使ってリゾート地までひとっとび、青い海?
高級ホテルで豪華な食事?
バイクで山道を爽快ドライブ?

では「旅」はどうでしょう?
この2つ、ニュアンスが微妙に異なりますよね。
旅は旅行よりもっと自由でいいのです。

私の趣味である「旅」の哲学は
「不便を楽しむ」
です。

不便にもいろいろ種類があります。
言葉が通じなくて不便とか、電波が通じなくて不便とか…
とりわけ私は不便な「移動」に興味があります。

不便の対義語は便利です。
便利な移動手段は楽ですし、時間も節約できていいものですね。
例えば飛行機や新幹線は私も使います(バイクは乗りません)。
また便利な移動手段を否定する気はありません。

要は目的です。
目的によっては便利なものは使えばよいのです。
ほとんどの方は無意識に使い分けているはず。

私はウルトラウォーキングをやりますが、移動手段で「歩く」というのは最大の不便です。
過去のウルトラウォーキングで他の参加者と交流した際に、現地まで数日かけて歩いてくるという徒歩原理主義者もいました(笑)

江戸時代以前の旅行といえば歩くことが基本でした。
街道を歩き、峠を越えて、宿場町まで。
これを複数日繰り返してようやく目的地です。
大雨で川が増水して渡河できず足止めなんてこともあったでしょう。

歩けば時間がかかります。
しかし歩くことでしか得られないその土地での発見や出会いがあります。
私は「不便さ」は粋であり、旅のアクセントになると思っています。
移動の不便さはただの移動を冒険に変えてくれます。
楽しむチャンスです!

旅行と旅のあいだ

これまでの旅行

画像
高知県足摺岬近辺を走る車の車窓より、大迫力な太平洋を手軽に一枚

かくいう私も、これまでどちらかというと便利さの恩恵を受けて旅行してきました。

飛行機で地方の拠点空港まで行き、そこからレンタカーで効率よく行きたいところをスタンプラリーのように巡ります。
車内の快適でプライベートな空間。
コスパもタイパもよい旅行。
限られた時間で非日常を満喫したり、仲間と楽しい思い出をつくるにはいい手段です。

しかし47都道府県を踏破した後、目的地を決めるのが難しくなりました。
「自分はどこに行きたいのかな…」
「(計画を立てても)なんか薄っぺらくて気分が乗らないな…」

画像
花巻温泉郷を貫く県道12号、暗さが増す山中を歩きます。
バスが少ないため、仕方なく歩きます。

便利な旅行の隙間、一人で旅もしました。
なんとなく島旅が好きになりました。
他に印象に残っているのは、酷暑や大雪といった過酷な環境。
あるいはとにかく考えたり汗をかいたこと。
ウルトラウォーキングもここに含まれます。

両者の性質が異なることはぼんやりと理解しながらも、「楽しい」という感情の括りで同じにしてしまい、違いを解釈できていませんでした。

旅とは、旅行とは

旅とはミクロな視点で、目的へと向かう不便な過程やそれに伴う感動を楽しむもの。
旅行とはマクロな視点で、背景にある目的やイベント、それに付随する行程を同行者らと楽しむもの。

・自分の旅の「哲学」を考えられたこと
・「旅」と「旅行」を自分の中で再定義できたこと

これはブログの恩恵です。
こうしてブログで自分の経験を言語化して発信するようになりました。一方でいろいろな方のメディアを見て、自分にとって旅とは何かを考えました。
結論はこの解釈の違いでした。

誰かに伝えたくなること

最近はブログにエピソードを書こうとしても、熱意をもって書きたくなるものとそれほどではないものがあることに気づきました。

私が誰かに「楽しかったよ」と伝えたくなること、
・等身大の視点でこそ見える自由さと不便さ。
・その過程の中に生まれる密度の高いドラマと感動。
これらはまさに旅の醍醐味です。
ようやく整理できました。

次からはこの自由と不便を心から満喫した旅の記録を紹介しようと思います。

読んでくれてありがとうございました。

よーく

コメント

タイトルとURLをコピーしました